「矢島の人たち」企画原案

江戸矢島藩邸はどこにあったか
インターネットでわかります

                      太田良行  NPO法人矢島フォーラム
インターネットサイト『古地図東京めぐり』にはどかんと一発食いました。

これまでに二度、出身地のいなかの大名(矢島藩生駒氏)の江戸屋敷を探しにこの辺りと思われる場所を歩いたことがありました。でも、しかと「ここ」と限定するには江戸の古地図と現在の地図の重ね方が今ひとつわからず、確定できずじまいできていたのです。

しかし、これを利用すると今までの努力がなんだったのかと思うくらいに「その場所」がわかるんですね。

まずは古地図から下谷辺りを見つけます。↓

左の池は不忍池、右の川が隅田川、左右に流れているのが神田川です。

次にこの画面を拡大すると、
 

ことほどさように生駒藩の上屋敷(中央)が出てきました。二画区あって、左が本家。「交代寄合生駒主殿八千石」、右が「御書院番二千石生駒権之助生駒主殿より借置」と書かれています。

お家騒動で減封される前から上屋敷はここでしたから、減封前はもっと広かったものでしょう。生駒家の親戚だった藤堂藩の藩邸が生駒家を挟むようにあるのも両家の関係をものがたっています。

秋田藩佐竹氏の藩邸がすぐ側に見えます。地図には出ていませんが、ここから北に目を移していくと本荘六郷氏の藩邸もあります。

いままでは、問題はここからでした。この生駒藩邸の位置が現在のどこに当たるのか。でも、『古地図東京めぐり』サイトではこれをクリックひとつで解決してくれます。



鳥越1丁目付近まではめぼしがついていて、その周辺をうろうろしたものでしたが、これで明白です。鳥越1丁目交差点と台東1丁目交差点を結ぶ通り(蔵前橋通り)のなかほど北側が、かつて生駒藩上屋敷のあった場所でした。

去年の12月にこの辺りを訪れたとき、近くに偶然かそれとも昔の縁をもつものか「矢島ミシン」なる看板のついた小さいビルがありました。



東京では山手線御徒町が最寄り駅です

いつか勇気を出してそのいわれを尋ねてみたいと思っています。

『古地図東京めぐり』