「矢島の人たち」企画原案

                 

佐藤勇
 由利本荘市議会議員
NPO法人矢島フォーラム理事
    
時事寸評
由利本荘市一市七町が合併して、早3年目になる何が変わったか良くなったかとよく巷で話される言葉だ。

サービスは、高いほうに合わせ負担は低い方に合わせて、住民の幸せを第一に考え、魅力ある新市を創るの合いことばでスタートしたが、圏内での立地的地域格差が表れはじめている。

景気は緩やかに回復基調といわれているが、高齢化も進み人口が減少しているにもかかわらず、全部が交替制の仕事でも無いと思うし、若い方が平日に多く見られるようになったことは、就労の場が前よりも窮屈になって来たのではないかと思っている。

景気回復の恩恵は、まだまだ末端までは感じられない。

これまで、市町村が幾ばくかの補助金を捻出し、羽後交通さんが鉄道以外の地域の生活路線を支えてくれていたのだが、乗客の減少と人件費や諸経費の高騰からか、ついに何カ所かの路線を19年度から廃止の方向で調整中だと市側に昨年通告してきた。

当の地域の方々の不安はいかばかりか推して知るべしである。

欲しいものを買うにも薬、医者にかかろうにも公共の交通機関が無ければ、車などを運転のできない人たちへどう行政の手をさしのべていこうとするのか予断は許されない。

机上では、ケーブルテレビを全地域に敷いて合併9万市民の一体感醸成と夢見ているようだが、まず市民の生活の安定を図ることが先決と私は常に提言してきた。約100億円以上の投資をして情報を共有するというが、私には市当局の勝手な思い込みかそうでなければ錯覚しているとしか思えない。今後のランニングコストがどれほどになるかも問題だ。

33ヘクタールという広大な県の市内工業団地に100億円も投じて工場誘致のための資金にしたらと悔やまれる合併特例債でもある。

まず市民にパンと職を与えよだ。職があれば人が集まる、集まれば消費が増える、経済圏が形成される。旧数市町を除けば周辺町は上下水道などもほぼ終えているが、いま合併したことによって急ピッチで進めているところもある。旧市ではこんなに早く着手するとは、現実味も薄い不安視の事業であったことと思う。

これまで、遅々として進まなかった上下水道や市街化区画整理事業が、降って湧いたような勢いで縦横無尽広区画整理が行われている。さらには、新市の心臓部である市役所移転説まで浮上し、合併特例債はただと思っている。

現に10年前に合併して財政難に喘いでいる兵庫県篠山市は、「今こうして予想外の財政難に苦しんでいるのは、借金の7割を国が負担してくれる国の合併特例債の制度があったから」だと自認しているではないか。

10年前の合併に伴い造った各種施設の借金が主な原因で財政悪化に直面し、今後も業務の民間委託や職員の削減など更なる行政改革を必死に進めているが、その行革によって支所などが一層の縮小に追い込まれ、それによってまた周辺部が衰退してきているというのが篠山市の現状のようだ。

わが由利本荘市も例外ではない。このことは、われわれ本市もそのまま自分たちの将来の鏡として受け止めねばならない。10年後に合併してよかった、本当に住んでよかったといえる町づくりがなされるか。

本市周辺部はというと、これまた深刻な問題が浮上している。TDK由利本荘矢島工場の移転・撤退の噂はかねがねあったし、従業員も既成事実化したもののいい方をしていたが、市に問い質しても会社からは何もいわれていない、県の企業対策室に出向いても会社側から何もない、それではと会社に直接聞けば今はまだコメントするようなことはないと、ないないづくしのなか、市民(関係町民)は何ができるのか。

はっきりと撤退が決まったというわけでもないとはいうものの、19年2月2日全国紙新聞地方版の一部朝刊で、TDKグループの二度にわたる取締役会で撤退が検討されたと、電撃的報道がなされた。

 まだ地元紙では、確定したことでもないので報道はしていないということのようだが、当地域にあっては、町の魂が抜けたような、なんともうつろで寂しい感じがしている。このまま斜陽の一途を辿ることにでもなれば、これは町の死活問題だといっても過言ではない。なんとしてでも全面撤退などないよう強く要望しなければならない。

ただ、由利本荘市全体から見た場合はどうか…という見方もしなければならないジレンマがある。県のこれまでの新規工場誘致策としては県内最大規模と見込まれ、新規雇用にもつながるということから、ひとり矢島町だけで反対運動などもどうなのか難しい部分もある。

急ピッチで進められている本荘市美倉町周辺

いま旧本荘市のなかで、区画整理移転に伴う第二庁舎建て替え建設などの問題、駅前の組合病院跡地問題、国立療養所の跡地活用問題など主要公共物をほぼ一極集中、目で見える範囲内に集合しようとの計画があるようだ。

その費用としたら想像がつかない。行政側は総合発展計画に則り粛々と計画の振興を図る意志だろうが、合併早々あまりに短兵急な地域開発には末恐ろしささえ感ずるのは私だけだろうか。

ケーブルテレビを施行するときのように、全市民のたったの5%のアンケート結果を踏まえたものではなく、各年齢層・職業層・各界の幅広い意見を時間をかけ練って、よりよい市民総出演での意志決定をしていくようにしなければならないと思う。

市町村行政30年のベテランのシンクタンクは、幅広い視野がややもすると退化している場合が多いと感ずる人が沢山いたら大変だ。ただひたすら、首長の指示通りつつがなく定年を迎える職員はいないと思うが、予算を組み・事業進行進捗させていくことが使命と思っているように見受けるとしたら、公僕としての責務はどうなるだろうか。

本当に数字に明るい見通しが聞くベテラン行政マンなら、首長に役職をかけてでももの申すべきであろうし、そのような職員がいたのであれば、夕張市もあそこまでには至らなかったと思えてならない。


ちなみに、19年度実施設計に入る総工費62億円の由利本荘市まちづくり交付金事業(本荘市駅前周辺部)についてのアンケート(平成17年11月)は、90,000市民のなかから1,000人の市民を対象にしたもので、その回答も398名という、全人口比率にして0.0044%という極少の意志の反映のなか、事業採択を期して申請したものでもあった。

なお合併前後の市の長期財政計画も何も示されず、市民も行政側も分からない落ち着かない、合併前後の西も東も分からない時点でのアンケート調査だった。ケーブルテレビもほぼ同じ時期。

地方の一自治体の議会は、この程度の規模の市区町村であれば行政の唯一のチエック機能としての役目が果たすことが至上命題である。どんな場合であっても、大人数会集団優先あるいは多数決原理だけでは市民のためにならないことも多いにあるということである。

合併以後これまで多くの市行政を遂行してきたが、その都度行政側の不首尾な点が露出する、単町村の時にはあり得ない行政のミスが連発することもある。これは職員個々がどうこうとかの次元ではなく、これまでの全郡のリーダー的存在の旧市政のあり方に課題がありそうに思えてならない。それは議会の一特定会派が決定的人数の多い場合である。

執行部側は、多数の政策集団にさえゴーサインのしるしが見えさえすれば、議会は通過したも同じだとの態度だが、この認識が全議会に対する軽視、甘えや傲慢を引き起こす原因ともなる。

議会内の会派制にも弊害があるのではと思う。馴れ合い的習慣が身につき、議会全体よりも特定の集団の目の色を伺い、全体協議会などの前に、ある程度意思表示の有無を垣間見てしまえばことなれりと目的達成感を抱いてしまう。これでは議会の権能は弱くなり、ひいては議会の質低下、要するに議会が軽く扱われる原因のもとになってしまっている。

これは職員でもなく首長でもなく議会議員全員の責任といわざるを得ない。たとえ政策集団は同じであっても、ダメはダメ良は良と正義を貫く決意が必要である。ここでいう正義とは、市民あるいは全体の恒久平和と利益のために決断する勇気であると思うのだがどうだろう。
                           2月11日


* 佐藤勇のホームページ